信州・長野県にある歴史スポット16選、神聖な神社仏閣やパワースポットも

長野県の魅力 ながの暮らし
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信州には歴史的な名所が数多くあり、知る人ぞ知る歴史スポットが点在しています。これらのスポットを訪れることで、長野県の豊かな歴史と文化に触れることができます。

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信州の歴史を体験しよう!知る人ぞ知る歴史スポットガイド

長野県にある注目の歴史スポットを抜粋してご紹介します。

東北信エリア

戸隠神社(長野市)

戸隠神社

戸隠神社は長野市北西部の戸隠山周辺に位置しています。この神社は、霊山・戸隠山の麓を中心に創建され、二千年余りの歴史を持つとされています。戸隠神社は、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社から成り立っています。

一説によれば、現在の奥社の創建は紀元前210年とも言われており、九頭龍社の創建はこの奥社よりもさらに古いとされています。また、この地の地主神である九頭龍大神が、天手力雄命を迎え入れたという伝承があります。

戸隠神社は、学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされ、冬期間限定の神雪参りや式年大祭・柱松神事や、祈祷・太々神楽・神前結婚式なども行っています。

戸隠神社はその歴史と自然環境により、訪れる人々に深い印象を与え、多くの参拝者を集めているのさ!1度は行くべきなのさ!!

上田城(上田市)

上田城は長野県上田市にある日本の城で、真田昌幸によって築城されました。この城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られ、真田氏、仙石氏、松平氏の居城として使用されました。

現在、上田城は上田城跡公園として観光地となっており、上田城千本桜まつり・上田真田まつり・上田城紅葉まつりなどのイベントが開催され多くの観光客で賑わっています。

また、上田城には眞田神社や上田市立博物館などの観光スポットが集まっています。

善光寺(長野市)

善光寺

善光寺は長野県長野市にある無宗派の単立仏教寺院で、日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来(善光寺如来)を本尊としています。この本尊は絶対秘仏で、開帳は前立本尊で行われます。

善光寺は、創建以来約千四百年の長きに亘り、阿弥陀如来様との結縁の場として民衆の心の拠り所として深く広い信仰を得ています。

各種イベントや法要も豊富で「戌の日」などに安産祈願の法要も行っています。善光寺は「一生に一度は参れ善光寺」と言われ、全国から多くの人々が参詣します。

牛に引かれて善光寺参りにゃー

松代大本営跡(長野市)

松代大本営跡

松代大本営跡は、太平洋戦争末期に日本の政府中枢機能を移転するために長野県長野市松代地区の山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた約10キロメートルに及ぶ地下坑道跡です。

この地下壕は、本土決戦の最後の拠点として、極秘に建設されました。その建設には、当時の金額で1億円から2億円とも言われる巨費が投じられ、多くの朝鮮や日本の人々が労働者として動員されたと言われています。

現在、象山地下壕が一般公開されており、平和な世界を後世に語り継ぐ上での貴重な戦争遺跡として、多くの方々にその存在を知ってもらうために公開されています。

世界最古のピラミッドと言われる皆神山のすぐ近くなのさ…

松代城(長野市)

松代城は長野県長野市松代町松代にあった日本の城で、元々は「海津城」と呼ばれていました。この城は、1560年頃に武田信玄が上杉謙信の攻撃に備えて築城しました。その後、城主はめまぐるしく変転し、1622年に真田信之が上田城から松代に移り、真田氏三代幸道のときに松代城と改められたと言われています。

松代城は、千曲川を背後に控え、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀を有しています。また、松代城は松代藩の政治の中心となり、商人たちは善光寺門前から動こうとしなかったため松代城下は商業の中心地にはならなかったとされていま1。

現在、松代城は国指定史跡となっています。

松代藩文武学校(長野市)

松代藩文武学校

文武学校は江戸時代後期に創設された信濃国松代藩の藩校で、明治時代初期に廃止されました。この学校は、日本全国約250藩中の藩校でも、建設当時から建造物や藩校敷地がそのまま残っている数少ない場所です。

文武学校は、第6代藩主真田幸弘の時代に、江戸から菊池南陽を招いて松代藩での藩士の教育が始まりました。その後、第8代藩主真田幸貫が清須町の喰違御用屋敷手狭につき、学舎建設の計画を立て、第9代藩主真田幸教が遺志を受け継ぎ完成。

1855年(安政2年)に開校し、松代藩士の子弟たちが文学や医学、軍学のほか、西洋砲術や剣術などの武芸などを学んでいました。

小諸城址・懐古園(小諸市)

小諸城址・懐古園は、長野県小諸市にある城跡公園で、日本唯一といわれる「穴城」の小諸城址があります。

この城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となった後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園等の植栽設計も手掛けた本多静六により、小諸城址懐古園として近代的な公園に生まれ変わりました。

懐古園内には美術館や記念館、動物園などもあり、日本さくら名所100選や日本の歴史公園100選にも選定されています。また、四季折々の美しい情景の中に小諸城の面影を堪能できるばかりでなく、美術館や記念館、動物園や遊園地も楽しめます。

龍岡城五稜郭(佐久市)

龍岡城五稜郭は長野県佐久市にある擬洋式城郭で、日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た形状を持っています。この城郭は、慶応3年(1867年)に田野口藩主「松平乗謨」によって造られました。

龍岡城五稜郭は、函館の五稜郭と比べると規模は小さく、星形の部分の面積は四分の一ほどしかありません。また、幕末の逼迫した財政事情からか、西側から南側にかけては未完成で、この面には堀がありません。

五稜郭公園には遊水池や芝生広場などがあります。

荒砥城跡(千曲市)

荒砥城跡(あらとじょうあと)は長野県千曲市上山田にある日本の城跡で、別名「新砥城」とも呼ばれています。この城は信濃国更級郡新砥(現・長野県千曲市上山田)にあった山城で、村上義清の一族である山田氏により築城されました。

荒砥城は、川中島合戦の頃には武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられました。現在は、城山史跡公園として整備されており、復元された櫓や門などを通じて中世の山城の雰囲気を感じることができます。

公園内は大河ドラマ「風林火山」や「江~姫たちの戦国~」の撮影ロケ地としても使用されていたのにゃー。

額塚の塔(小川村)

額塚の塔(ぬかづかのとう)は長野県上水内郡小川村小根山にある史跡で、五輪塔9基と宝篋印塔2基があり、村の重要文化財に指定されています。この地は静かに整然と並んだ塔が特徴で、訪れると心が落ち着くと評価されています。

また、周辺には他の観光スポットも点在しており、小川の庄おやき村や湯の沢温泉、小川神社などがあります。これらのスポットと合わせて訪れることで、長野県の歴史と文化をより深く体験できます。

飯山城址公園(飯山市)

飯山城址公園は長野県飯山市にある城跡公園で、戦国時代に上杉謙信が川中島の戦いの前線基地として築いた「飯山城」の城跡を整備した公園です。門や土塁、石垣が復元されており、戦国時代の面影を感じることができます。

また、飯山城址公園は飯山市を代表する桜の名所でもあり、4月中旬~下旬にかけて、飯山城址さくらまつりが開催され、ぼんぼりの灯りとともに夜桜も楽しむことができます。

中南信エリア

松本城(松本市)

松本城

松本城は長野県松本市に位置する日本の城で、深志城(ふかしじょう)とも呼ばれています。

この城は1504年(永正元年)に築城された深志城が起源で、1582年(天正10年)に小笠原貞慶により、深志城から松本城へと改名されました。

松本城は、日本に現存する十二天守のうち、5層6階の天守を持つ最古の城として知られています。その天守は、安土桃山時代末期から江戸時代初期に建造され、現存天守の一つとして国宝に指定されています。また、城跡全体も国の史跡に指定されています。

松本城は、その歴史と美しい姿から「国宝五城」の一つに数えられています。観光地として人気があり、その美しい姿は長野県松本市のシンボルとなっているのさ。

諏訪大社(諏訪市)

諏訪大社

諏訪大社は長野県の諏訪湖周辺に四つの境内地を持つ神社で、信濃國一之宮とされています。全国各地に約25,000社ある諏訪神社の総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされています。

諏訪大社は、上社前宮と本宮、下社春宮と秋宮の四社からなります。上社は諏訪湖の南側に、下社は北側に位置しています。御祭神は前宮が八坂刀売神、本宮と春宮秋宮が建御名方神、八坂刀売神、八重事代主神です。諏訪大社は、その古来からの姿を今に残し、山や神木などの自然を信仰の対象としています。

また、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られています。この祭りは、社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱を立てることに大別され、老若男女の区別なく、諏訪地方一円の20万人の氏子の奉仕によって行われる諏訪大社最大の神事です。

すごい気を感じるパワースポットなんだにゃー

旧開智学校(松本市)

旧開智学校は、長野県松本市に1876年(明治9年)に建てられ、その後、現在地である松本市沢村(現在の松本市開智2丁目)に移築された明治時代初期の擬洋風建築の校舎です。この校舎は、筑摩県権令・永山盛輝の主導で建設され、永山は自ら工事現場に出て監督を務めたと伝えられています。

旧開智学校は、約90年間使用された後、1963年(昭和37年)に解体され、翌年に現在の場所へ移築・復元されました。その後、1965年(昭和40年)から教育博物館として公開され年間約10万人が訪れています。

また、旧開智学校は、2019年(令和元年)に国宝に指定されました。これは、明治時代の学校建築としては初めてのことで、その価値を高く評価されています。

平出遺跡(塩尻市)

平出遺跡

平出遺跡は長野県塩尻市にある大規模な遺跡で、日本三大遺跡の一つとされています。この遺跡は縄文時代から平安時代にかけての大集落跡で、昭和27年に国史跡に指定されました。

遺跡は、平出の泉から流れ出る渋川に沿って東西約1キロメートル、南北300メートルの範囲にわたって帯状に広く展開しています。現在までに290軒を超える住居跡や建物跡が見つかっており、土器、石器、鉄器などの豊富な出土品は、当時の生活の様子を復元する貴重な考古資料とされています。

また、平出遺跡公園では、縄文・古墳・平安時代の住居や文化を見ることができ、平出博物館では、出土した土器や緑釉水瓶などの県宝を展示しています。さらに、ガイダンス棟では「火起こし」や「勾玉づくり」など、原始・古代に関するいろいろな体験学習も実施されています。

平出遺跡は、過去の生活を学び体験できる貴重な歴史的スポットです。

縄文人が出てきそうなところなのさ

高遠城跡公園(伊那市)

高遠城跡公園は長野県伊那市にある城跡公園で、日本有数の桜の名所として知られています。この公園は南北朝時代の高遠氏に始まり、武田氏、毛利氏、京極氏、保科氏、鳥居氏、内藤氏と城主が変遷した高遠城の城跡を整備したものです。

明治時代に入って荒廃してしまった旧高遠城の城跡に、旧高遠藩士たちが桜の木を植えたのが始まりで、現在では1,500本ものタカトオコヒガンザクラが城内を埋め「天下第一の桜」とまでいわれるお花見スポットとして、全国から多数の観光客が訪れます。

また、公園内には国の登録有形文化財の指定を受けた高遠閣や城下から移築された問屋門、太鼓櫓、新城藤原神社のほか、高遠公園碑、無字の碑、靖国招魂碑などの碑文等、古きを偲ぶ歴史的資料がたくさんあります。

公園では春の桜のほかに、夏の新緑、秋の紅葉など年間を通じて多くの観光客が訪れ、さくら祭りやもみじ祭りなどのイベントも開催されています。

一度は足を運びたい信州の歴史スポット

ご紹介した歴史スポットはごく一部で、信州には数多くの歴史的なスポットがたくさんあるのにゃー。これらのスポットに足を運ぶことで、信州の歴史をより深く感じ、その魅力に触れることができるはずなのにゃ。

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