TVアニメ『LAZARUS ラザロ』第3話が公開され、渡辺信一郎監督らしいスタイリッシュな演出とMAPPAの圧倒的な作画が話題を呼んでいますね。
とはいえ、Xの反応や個人的な見解を踏まえると、ハプナという「致死率100%の危機」と、作中の「淡々とした」とした穏やかな日常とのギャップが、独特の「ズレ」を感じてしまいます。
この記事では、第3話を個人的な視点と渡辺監督のスタイルを交えて考えてみたいと思います。
第3話のあらすじとXの反応
第3話では、ラザロチームがスキナー博士の祖母の手がかりを追ってイスタンブールへ。
探索の過程で、アクションシーンやハーシュ、エレイナらの掛け合いが描かれ、渡辺監督らしいジャジーなBGMや細やかな背景が光ります。
Xでは、アクションや作画のクオリティ、色彩の美しさ、キャラの魅力(とくに中村悠一演じるトランスジェンダーキャラやエレイナのハッカー像)が「映画のよう」「スタイリッシュ」と高評価。
また、BGMや猫、バスケなどの日常ディテールも「飽きない」と好感。
一方、脚本の「雑さ」や「強引な展開」、ラザロの目的の不明確さに不満。イスタンブールでのアクションが「必要ない」と感じる意見や、洋ドラ風の軽薄さが気になるといった批判的な声も。
全体的に、視覚・聴覚の満足度は高いものの、物語の焦点に物足りなさを感じる視聴者もいるようですね。
おっしゃる通り!
ハプナの危機と日常のギャップ
『ラザロ』の1番の特徴は、ハプナによる「数か月後に多くの人が死ぬ」という終末的な危機が宣言されていること!
にもかかわらず、作中の世界が驚くほど穏やか…
イスタンブールの市場は活気にあふれ、猫がのんびり歩き、ハーシュは植物に水をやり、エレイナは軽口を叩く。
暴動やパニックといった「危機らしい」描写は皆無で、まるで何事もなかったような日常が続きます。
私は、このギャップに「淡々とした」印象や「ズレ」を感じざるを得ません!(by あばれる君)
現実なら、致死率100%の危機が宣言されたら、社会は即座に混乱し、ニュースやSNSが過熱するはず…だよね?
しかしながら『ラザロ』ではその兆候は皆無、危機の「実在感」が希薄に感じられます。
そう、まさに、これ!
Xでも「脚本の雑さ」や「展開の軽薄さ」を指摘する声があり、このギャップが物語の没入感を損なっているではないでしょうか?
これが、渡辺信一郎スタイル?
この「ズレ」は、渡辺監督の作家性に深く根ざしていると言えるでしょう。
『カウボーイビバップ』や『サムライチャンプルー』でも、生死を賭けた戦いの中でも、キャラがタバコを吸ったり、飯を食ったりする「日常の断片」が丁寧に描かれています。
『ラザロ』も同じように、ハプナという「非日常」を、市場の喧騒やジャズBGMといった「日常」で包み込み、独特の「クールさ」や「余裕」を演出しています。
これこそが渡辺信一郎スタイル!
…なのかな?
イスタンブールの美しさは、渡辺作品らしい詩的なアプローチであり、ハプナに対する社会の無反応は、単なる描写不足ではなく「情報統制」「ハプナの真実の隠蔽」といった裏設定を匂わせる可能性もなくもないわけで…
あるいは、派手な「動」を控えることで、後半の盛り上がりを準備している可能性もありますね。
ラザロの世界観
『ラザロ』は。どれをとっても非常に魅力的な作品です。
ただ、社会が危機に無反応なのは不自然で、リアリティの欠如というか、物語の説得力を損うのではないでしょうか?
ハプナの被害規模や社会の反応が欠けているため、危機が「本物」に感じにくいとも言えますね。
これが『カウボーイビバップ』のように宇宙を舞台にしてたら良いのですが、ちょっと先の未来っぽいので、どうしても現実の世界と比較してしまいますね。
とくに第3話まで、作中に大きな「動」(クライマックス、敵対勢力、明確なゴール)もないため、物語が「淡々」と感じられやすく、キャラの内面や動機も断片的で感情移入しにくいわけです。
序盤で危機のスケール感や物語の方向性が示されないから、「退屈」「ズレてる」と感じのかもしれません。
ただ、『カウボーイビバップ』では、序盤の日常が中盤以降のドラマや対決で加速した例が多いため、4話以降でハプナの真相や社会の反応が描かれれば、この「ズレ」が解消され、物語に推進力が生まれる可能性は高いです。
中盤に期待です!
『ラザロ』第3話は、ハプナの危機と日常のギャップが生み出す「ズレ」が、魅力と課題の両方を浮き彫りにしました。
あなたはこの「ズレ」をどう感じましたか? 4話以降、どんな展開を期待しますか?
もう、スパイク出しちゃえば?
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