おすすめの漫画「君と宇宙を歩くために」は、ヤンキーな小林と発達障害の宇野の友情を描いた作品で、「このマンガがすごい!2025」1位に輝きました。
多くの読者が「泣ける」「共感した」と絶賛する一方、宇野の発達障害に似た描写にモヤモヤを感じる人もいます。
今回は発達障害とどう向き合えばいいのかを真面目に考えてみましょう。
「君と宇宙を歩くために」がモヤる理由
そもそも「君と宇宙を歩くために」がモヤるのは、宇野を明らかに自閉スペクトラム症(ASD)として描いているにも関わらず、作中ではいっさいそのことを明示しないことから始まります…
モヤる理由1:発達障害は生きづらい象徴なの?
宇野のルールへのこだわりや感覚過敏は、だれが見ても間違いなく自閉スペクトラム症(ASD)の症状です。なぜ、それを隠すのでしょう?
Xでも「当事者として刺さる!」って声や「生きづらさばっかで、ASDの強みはどこ?」「ASDの子を持つ親として、宇野の葛藤に涙した」、発達障害ってユニークな視点や集中力みたいなポジティブな面もあるのに、宇野は「大変な人」っぽく描かれがち、といった声もあります。
あなたの友人や家族が自閉スペクトラム症(ASD)だったら、この作品を呼んだ時どう感じるでしょう?間違いなくモヤモヤすると思います。
モヤる理由2:物語の都合優先?
物語では、宇野の個性を友情や感動の道具として使う傾向があります。これもモヤる理由です。
宇野の「ルールノート」が生きづらさの象徴として描かれており、xでは「発達障害を『悲劇』にするのは違う。うちの子はユニークで最高」といった声もあり、宇野を「生きづらい」だけで定義してほしくないという思いを反映しています。
発達障害の子供を持つ親の「我が子はもっと豊かな存在」という気持ちが、完全に置き去りにされているです。
モヤる理由3:中途半端なヤンキー小林?
小林は「普通ができない」要領の悪いヤンキーとして描かれ、その葛藤を軸に進み「生きづらさ」を共感の中心に据えています。これかなりモヤります!
モヤるというより、イライラすると言ったほうがいいかもしれません。
ヤンキーならヤンキーらしく描いてくれたら、少しはすっきりするかもしれません。実に何事も中途半端なんです。
発達障害とどう向き合えばいいのか
悪く言えば「君と宇宙を歩くために」は、発達障害を「感動の道具」にしているように感じます。
作品は発達障害の当事者の経験を直接反映しているか不明(※作者の取材情報なし)です。
そのため「ASDっぽいキャラを、外からの視点で描いた」といった印象(とくに宇野の姉)が強く、当事者から「自分たちの現実が軽視されてる」と不快に思われる場合があるのではないでしょうか。
当事者や家族の声を取り入れ、発達障害のリアルな喜びと挑戦を描くべき!
少なくとも、家族は当事者が社会で輝く姿を夢見ています。漫画がその希望を映せば、大きな支えになるはずです。
概ね「君と宇宙を歩くために」という作品は、肯定的な意見が多いのも事実ですが、この作品にモヤる人もいるということです。
あなたはこのマンガをどう感じましたか?
ちなみに宇宙は歩けないけどね
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