朝ドラ「エール」で注目の古関裕而氏は5000曲をつくった昭和最大の音楽家!

朝ドラ「エール」で注目の古関裕而氏は5000曲をつくった昭和最大の音楽家! 芸能エンタメ
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3月30日からはじまったNHK朝ドラ「エール」は、昭和の日本を勇気づけた作曲家・古関裕而氏と、その夫を支えた妻の物語です。

モデルとなった古関裕而氏がどんな人だったのかまとめてみました。

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古関裕而は昭和最大の音楽家

古関裕而氏は早稲田と慶應の応援歌やオリンピックマーチなど5000曲を作ったとされる昭和を代表する音楽家です。

1909年に福島県福島市で生まれ、小学校の頃から作曲を始めました。音楽教育は一切受けていないため、作曲の際は楽器を使わず頭の中で浮かんだメロディーをスラスラと楽譜に書き留めていたそうです。

オーストラリアのスコアも書いていたといわれており、まさに天才と呼べるでしょう。

 

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・名前:古関裕而(こせきゆうじ※本名は勇治)
・生年月日:1909年8月11日
・出身:福島県福島市
・代表曲:オリンピックマーチ、紺碧の空、船頭可愛や、大阪タイガースの歌、露営の歌 、君の名は、モスラの歌、巨人軍の歌、ああ甲子園…など多数。
・配偶者:古関金子

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古関裕而作品の特徴として、そのジャンルの幅広さが挙げられます。流行歌や野球の応援歌、軍歌や自衛隊歌、戦争の悲劇を歌う珍魂歌まで、何でもこなしています。

しかも、タイガースとジャイアンツ、早稲田と慶應の応援歌を作るなどライバル関係でもお構いなしです。

あらゆる大衆音楽を手がけた唯一無二の存在だったと言えるでしょう。

ネットの反応は?

古関裕而氏をモデルにしたNHK 朝ドラ「エール」を見たネットの反応を見てみましょう。

古関裕而氏と妻・金子との出会い

1929年、古関裕而氏の舞踊楽曲「竹取物語」が、イギリスのチェスター楽譜出版社の作曲コンクールで二等に入選しました。

その新聞記事を読んだ愛知県豊橋市に住む金子がファンレターを送り、福島県に住む古関裕而との文通が始まり、濃密な手紙を介して2人は恋愛関係になったそうです。

古関裕而氏は豊橋に行き金子福島に連れ帰り6月に結婚しました。この時、裕而は20歳、金子は18歳でした。

古関裕而氏のオリンピックマーチ

古関裕而氏は明治に生まれ、対象に育ち、昭和のほぼ全てを作曲家として生き、平成になくなりました。

古関裕而氏の人生や作品は、日本の黄金時代である昭和の歴史全てを記録しています。そして、その頂点には「オリンピックマーチ」が管理しているのです。

また、古関裕而氏は1972年から12年間、萩本欽一氏が司会を務める「オールスター家族対抗歌合戦」 に審査委員長として出演し、お茶の間でも人気者になりました。

世の中が大きな変化を迎えている今、古関裕而氏の”応援歌(エール)”が日本中に響く。それはきっと私たちの力になるでしょう。

まとめ

古関裕而氏は、戦後の日本を復興させ、日本国民の気持ちを明るく奮い立たせた大功労者のおひとりです。

そんな古関裕而氏が、朝ドラ「エール」でどう描かれていくのか楽しみです。

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